写楽もまた、名プロデューサー蔦屋重三郎にその才能を見いだされた、役者絵を得意とする有名な浮世絵師です。
彼の作品を見るたびに、「写楽」という名前は誰が考えたのだろう、なんてすごいネーミングセンスだろうと思います。名付け親も蔦屋重三郎だったのでしょうか。
サラサラッと傑作を描く天才のイメージです。苗字を調べたら「東州斎」で、フルネームは「東州斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)」。かっこいい。
たった10ヶ月という短期間に145作品を発表し、熱狂的な人気を博した後、忽然と姿を消しました。その謎めいた存在感から「写楽は北斎ではないか」と言われ、私もそう思っていました。
ところが平成になって、江戸時代の文献を深堀りした結果 徳島藩に仕えた能役者・斎藤十郎兵衛だったという説に落ち着いたようです。(Wikipediaより)
東洲斎、という苗字は「江戸の東に洲があった土地」を意味していて、八丁堀か築地あたりを暗示しています。蔦屋さんも、写楽が描いた役者たちの芝居小屋も 八丁堀に実在したので この苗字が「写楽は誰だったのか」を解くカギの1つになりました。ちなみに、徳島藩に仕えていたとはいえ、十兵衛自身は江戸住まいでした。
生涯:1763〜1820年、享年57歳、
31歳のときに蔦屋重三郎の強い誘いで1年間だけ作品を出版したが
士農工商の身分制度のなか、一番上の「士」であった十郎兵衛は、職人である「工」の浮世絵師として生きていくには風当りが非常に強く、作品の売れ行きが落ちた1年後には能役者に戻ることを決意し、浮世絵界を去った。
(参考文献 [1] 「浮世絵細見」 浅野秀剛 講談社選書メチエ 2017年8月9日初版)
潔いですね。さすがサムライです。
1995年には映画化もされました。形式美がほどよくあって、面白いです。 https://youtu.be/WGBlbbQjcxc
presented by TSUTAYA.
2021年に北斎も映画化されました。蔦屋さんも写楽も出てきます。 https://youtu.be/nQ3kIfebrnc
写楽 本人がお能の役者さんだったのなら、本人の役者絵はないのでしょうか。
探してみます。
後日、神保町の浮世絵屋さんで伺ってみましたが 残念ながら写楽自身の役者絵が存在する可能性は非常に低いようです。
そもそも斎藤十郎兵衛は能役者としてほぼ無名だそうで、お能の浮世絵は舞台上の主役メインの絵が多く、たとえ主役でも顔はお面で素顔ではなく、仕手が描いてあるとしても作品の端に小さく描かれているケースが殆どで、個人を特定すること自体が非常に難しいそうです。
そもそも、斎藤十郎兵衛が何番手の仕手で何の演目に出ていたのかもわかりません。
早稲田大学の浮世絵データベース で検索すると何か出てくるかも、とアドバイスも頂きましたがヒットしませんでした。